野良猫が赤ん坊を救う

いささか古いニュースですが、記事にするのを忘れていたので、月が変わる前に・・・

氷点下、野良猫が赤ん坊を温めて救う ロシア

2015年01月17日 13:04 発信地:モスクワ/ロシア
【1月17日 AFP】ロシアのある街で氷点下の中、集合住宅の玄関通路に置き去りにされた赤ん坊を一匹の野良猫が温め続け、世話したことで人々の賞賛を浴びている。

 露カルーガ(Kaluga)州オブニンスク(Obninsk )で10日、気温が0度を下回る中、集合住宅の通路の床に生まれてまもない男児が放置されていた。地元のズベズダ・テレビ(TV Zvezda)によると、廊下の段ボール箱をすみかにしたマーシャ(Masha)と呼ばれる野良猫が、数時間にわたって男児を自分の体温で温めていた。

 大きな泣き声を聞きつけた住人の一人が自室のドアを開けたところ、床に横たわる男児とそばに寄り添って子どもをなめ、温めるマーシャの姿があったという。同局のアナウンサーは「住人らは、猫が面倒をみていなければ、男児は助からなかったと確信している」と伝えた。階上の住人の一人は露レン・テレビ(Ren TV)に、猫が助けを求めているような鳴き声を聞いて外へ出て「下りてみると、赤ん坊が泣いていた」と語った。

 救急隊員らが到着し男児を救急車に乗せると、マーシャは後を追ってきたという。ある隊員は「マーシャは子どもをどこに連れていくのかといった感じで、とても不安げだった。鳴きながらすぐ後ろをついてきた。本当に頭のいい猫だ」と語った。

 ロシアのテレビ局は、玄関ホールに住むことを許されるようになったグリーンの瞳をもつ毛足の長いシマ猫が、住人らに餌を与えられている映像を放映した。

 置き去りにされていた男児は推定で生後2~3か月、健康状態はいたって良好だという。男児はきれいな服とおむつの袋と一緒に置かれていた。男児は病院に保護されており、警察では両親を捜している。(c)AFP
http://www.afpbb.com/articles/-/3036764


今はリンク切れの時事通信(1月16日(金)5時39分配信)では、

猫は「マーシャ」と名付けられ、玄関ホールの段ボール箱に住むことが認められた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150116-00000014-jij-int

という表現だったのですが、上の記事を読むと、以前から名前がついていたようで、ちょっとニュアンスが違いますね。

何にしても、助かってよかった。
こういうのを見ると、猫でも助けようとするのに、人間の親ときたら・・・などとお怒りの方が出るかもしれませんが、暗いニュースの多い中、めでたしめでたし・・・ということで一応終わりたいと思います。
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風刺画とは・・・

この記事を書いている今、微妙な時期なので、限定記事にしていますが、

非常に憤っています。


イメージ 1


それから、フランスの某マスメディア。

テロリストではない一般のイスラム教徒まで傷つけるようなイラストは、質の良い風刺画ではない。

私の下手な絵が、良質の風刺画だ、とはいう自信がありませんが。

至誠にして動かざるものは・・・

至誠而不動者未之有也
至誠にして動かざるは いまだこれあらざるなり
 
孟子の言にして、吉田松陰が好んでいた、と伝わっています。
(なので、「八重の桜」でも「花燃ゆ」でも、吉田松陰役が登場すれば、この台詞も出てくる可能性が高い。)
 
誠を尽くせば、動かせないものはない
 
この信念で、松陰は幕末を生き、多くの有為な人材を育てた・・・・・・ということになっていますが、
実は、彼の在世中には、なかなか思うようには人は(そして時代は)動きませんでした。
 
密航を企て、自首し、一命は助かったものの長州藩の野山獄にぶち込まれ、
のち松下村塾で若者は育てるものの、それも短い間で「安政の大獄」で処刑され、
育てた若者たちも多くは戦乱のうちにいのちを失い・・・・・・
 
誠を尽くしても、それで世が動くまでには、年月と、多くの生命が費やされてしまいました。
 
 
でも。
 
動かせないものはない、という信念が、やはり動かした。
のかもしれない。
 
 
世の中には、最善を尽くしても、結果が伴わないことがあります。
不慮の事故や事件、災害、職場や家族や地域やネット上などの人間関係も。
 
いますぐ、事態が好転しなくても、結果が出なくても、それは努力が足りないのでも自分が悪いのでもない。
誰も悪くなくても、ものごとがうまく動かないことはあり、
それでも継続される努力が、ついには物事を動かすのでしょう。
 
至誠にして動かなければ、それはそれで仕方がない。
 
「八重の桜」にも「花燃ゆ」にも出てこない言葉ですが(爆)

杉の年輪のバウムクーヘン

今週は疲れたので、内外の諸問題から目を背けて、
 
書写千年杉
 
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右上の皿に載っているのが、切り出したものですが、
 
例によって写真がよくないので(苦笑)
こちらを。姫路の銘菓です。
 
バウムクーヘンの外側をチョコレートでコーティングして、杉の樹皮風に仕上げています。
 
美味しくて、家族が残していたのを、どこかのお年寄りが全部食べてしまったとか(謎)

陳舜臣さん

また作家の訃報記事になりますが・・・


陳舜臣さん死去 阪神大震災経験、「神戸の笑顔をみたい」復興見守る

(withnews 1月21日(水)15時24分配信)

 中国の歴史を題材にした小説で知られる直木賞作家の陳舜臣さんが21日、老衰のため90歳で死去した。神戸市で生まれ育ち、阪神大震災で被災した後も、国際都市としての神戸を愛し、創作の拠点にしながら復興を見守り続けた。昨年5月には、「アジアの若者の交流の拠点に」と著作や資料を寄贈した「陳舜臣アジア文藝館」ができた矢先の訃報だった。

 陳さんは1924年、神戸市生まれ。祖先は中国・福建省の出身。祖父の代に台湾から神戸に転居した貿易商の家で育った。大阪外国語学校(現・大阪大外国語学部)を卒業後、家業を手伝いながら小説を書き始めた。1961年には、神戸を舞台にした「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受賞している。「実録アヘン戦争」「諸葛孔明」などの中国史を題材にした作品で知られるほか、沖縄の歴史を描いた「琉球の風」は、NHK大河ドラマの原作となった。

記事などによると、震災の前年8月に脳内出血で倒れ、退院した4日後に阪神・淡路大震災で神戸市灘区の自宅が被災。

 しかし、神戸が全滅するのでは?という不安は杞憂に終わる。ちょうど10年目の2005年1月17日付け朝日新聞に寄せた随筆で、国際都市・神戸の民度の高さについて、誇らしげにつづっている。

 「マイノリティー(少数派)として日本に住む私たちは、このような災害に遭ったとき、関東大震災のあのいまわしい事件を思い出さずにはおれない。数千人の朝鮮人と数百人の中国人が虐殺されたともいわれている。阪神淡路大地震にはさすがにこのようないまわしい事件はおこらなかった。あのころと比べて、『民度』ははるかに向上している。国際的感覚というより地球市民的自覚が、これまたはるかに進んでいるといえる」

 01年にあった講演でも、「神戸には多くの外国人がいたのに、混乱もなく、みんなが協力して復興に向けて動き出した。こうして神戸が真の国際都市だということが証明されたことは、神戸に住む外国人の一人として本当にうれしい」と語っている。
と、続いています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150121-00010003-withnews-soci


数多くの著書があり、私も全部は読んでいないので、あくまで個人的に好きな作品は、ということで挙げますが、

「耶律楚材」
「チンギス・ハーンの一族」

が印象に残っています。

司馬遼太郎さんらとの対談(今にして思えば、豪華な組み合わせ!)
というのもあったように記憶しています。

ご冥福をお祈りするとともに、ありがとうございました、といわせてください。

平井和正さん

<訃報>平井和正さん76歳=SF作家 「幻魔大戦」

(毎日新聞 1月18日(日)20時55分配信)

 漫画「8(エイト)マン」の原作や、「幻魔大戦」シリーズで知られるSF作家の平井和正(ひらい・かずまさ)さんが17日午後8時5分、急性心不全のため神奈川県鎌倉市の病院で死去した。76歳。葬儀は近親者で営む。後日、お別れの会を開く予定。喪主は長男新(あらた)さん。

 中央大法学部在学中の1961年に作家デビュー。63年に「週刊少年マガジン」の連載漫画「8マン」の原作を担当。テレビアニメ化もされ、「鉄腕アトム」と並んで人気を呼んだ。石ノ森章太郎さんとの共作の漫画を基にしたSFアクション小説「幻魔大戦」シリーズは、宇宙を破壊しようとする生命体との戦いを描き、ベストセラーとなった。また、83年にアニメ映画化され、「ハルマゲドン(最終戦争)」という言葉が広まった。

 ほかに「狼の紋章」などウルフガイ・シリーズも高い人気を集めた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150118-00000054-mai-soci


公式サイトには、「かねてより病気療養中のところ」とありますので、
「急性心不全」とはいいながら、以前からお体が悪かったようです。

記事にあるように、エイトマンの原作、幻魔大戦シリーズが有名ですが、
ウルフガイシリーズ、死霊狩り(ゾンビー・ハンター)なども印象に残っています。

SFの世界が、アニメ、映画など日本のいろいろなメディアに広がっていくきっかけをつくった方のお一人だと思います。
ご冥福をお祈りいたします。

神戸新聞とラジオ関西と

阪神・淡路大震災の頃の週刊誌を保存している話を書きました。
http://blogs.yahoo.co.jp/jukeizukoubou/33679321.html

暇を見て読み返したりしていますが、量が多いのと、あの頃のいろんな想いが蘇るのとで、なかなか記事にはまとまりません。

本質的な、重い問題は、まだまだ無理かな・・・


その中で、被災地のマスメディアについての記事が目に留まりました。


被災したマスコミ 神戸新聞社 そのとき記者たちは?

(週刊文春 平成7年2月2日号)

神戸新聞社の7人の社員が肉親を失い、家屋が全半壊した社員は69人にのぼることが書かれています。

さらに。
本社ビルのほとんどのガラス窓が割れ、手前に傾き、コンピュータも完全にダウン。
かろうじて生き残った電話は2台のみ。

以下、週刊文春より引用
 絶望の淵から救い出してくれたのは、昨年一月に締結した京都新聞との災害相互援助協定。
(略)
 取材原稿を京都新聞に送ってレイアウトし、印刷フィルムを作成。それを幸い難を逃れた製作センターに輸送して印刷。綱渡りの連続の末に夕刊の印刷が完了したのは、震災当日の午後八時だった。
(略)
 現在、一面と社会面以外は京都新聞の記事を借り、ページ数も通常の半分程度だが、従来通りの部数を発行している。

このほかに、足りない電話回線を隣の歯科医院から借りたり、実母の死を隠して陣頭指揮をとった部長とか、瓦礫の中から「神戸新聞」の題字の版を見つけ出して9時間かけて京都まで送り届けた話とかが掲載されています。


社屋も崩壊! ラジオ関西の報道部に"入社"を命ず

(週刊宝石 2月23日号)

こちらは、同誌の「実験隊転職体験シリーズ」の第1回目とされています。

ラジオ関西は、当時は神戸市須磨区の公団住宅1~2階に本社があり、この建物も損傷が大きかったようです。

生放送中に地震、停電、ザーッという無音状態、18秒後に自家発電装置に切り替わり、復旧作業を経て、わずか13分間の中断で放送再開。

以下、週刊宝石より引用
<大きな地震があった模様です>
 これが緊急放送の第1声。共同電で震源地と震度の第1報が入ったのは6時10分。まだ何が起こったのか正確には分からない。
 目撃した局内や近所の様子を伝える一方、スタッフは社員名簿で社員に連絡をとる。出社できたのは3分の1ほどだが、出社途中で目撃した情報を報告し、それをリスナーに伝え、リスナーにも情報の提供を求めた。電話は鳴りっ放しとなった。
(略)
 緊急放送は災害報道、生活情報に絞り込み24時間態勢で行われた。

女性オペレーターの話として、
「個人的に別荘を開放します」
「美容師さんたちが○○公園で洗髪やカットの無料奉仕をしています」
などの情報も伝えていたそうです。



私は「文春」「宝石」以外に、新聞社系の週刊誌も保存していますが、ライバルともいうべき他のメディアについての記事が掲載されていたような記憶がありません。

(ちなみに、「神戸新聞は潰れたので」といって新聞勧誘に回っていた全国紙の勧誘員がいたとかいう話は、被災地に居住していた人から聞いたことがあります。私が直接聞いたのはプロ野球球団の経営に関わっている新聞ですが、他の全国紙もあった、との未確認情報も。)

そういう思惑?に反して発行を続けた神戸新聞はすごいと思いますし、京都新聞、歯科医院などそれを支援した人々も素晴らしいと思います。

ラジオ関西のほか、サンテレビの放送も大変だったようで、関心のある方は、同社のウエブサイトをどうぞ。
https://www.sun-tv.co.jp/shinsai/hd-eq115.html

自動車学校の津波訴訟

<教習所津波訴訟>地裁「事態予期できた」
(河北新報 1月13日(火)15時5分配信)
 東日本大震災の津波で常磐山元自動車学校(宮城県山元町)の教習生と事務職員計26人が死亡したのは、学校が安全配慮を怠ったためだとして、遺族が学校などに約19億6700万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、仙台地裁は13日、津波の到達を予測してより速やかな避難が可能だったとして学校の責任を認め、学校に約19億1300万円の支払いを命じた。

 震災の主な津波訴訟で、遺族側の請求が認められたのは、2013年9月の石巻市の日和幼稚園訴訟の仙台地裁判決(高裁で和解)以来、2例目。

 高宮健二裁判長は、公共交通機関が不通となり、教習生の帰宅が困難な状況では、教習終了後も学校は安全配慮義務を負っていたと指摘。

 「教官らは消防車が中学校への避難を呼び掛けるのを聞いたと推認され、学校付近に津波が襲来する事態を予期できた」と述べ、呼び掛けに従っていればもっと迅速に避難を始められたと判断した。

 経営者や学校長ら個人に対する賠償責任については、呼び掛けを聞いていなかったり、学校内の権限がなかったりしたとして、退けた。
(以下略)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150113-00000015-khks-soci


 
(ヤフコメなど)ネット上では、被告側に酷な判決ではないか、という声が少なくないようです。
 
こちらの記事などで触れた幼稚園(高裁で和解になりましたが)のような場合には、
 
原告勝訴、というか、幼稚園や保育所の管理側の責任が問われるのはわかりやすいのですが、
自動車学校、教習所といった成人やそれに近い年齢層が利用する場所については、正直、自信がありません。
(学校側に責任がない、という意味ではなく、いろいろな点で迷いがあるということで。)
 
いずれにしても、少なくとも今後、将来に向けては、相当な規模の地震のあとの津波については、さまざまな立場の施設、人々が、相当な注意義務があると考えるべきなのでしょう。
 
なお、山元町のウエブサイトからリンクが張ってある国土地理院のデータを使って、山元町の津波関係訴訟についての概略の位置を落としてみました。Aより山側、B・Cより海側を通っている線が、現在は不通となっているJR常磐線です。
(他の報道資料等を見て、あくまで概略でつくったものなので、正確ではありません。)
 
イメージ 1
 

20年前の震災の頃の週刊誌

阪神・淡路大震災(*)から20年が経とうとしています。

私は震災の頃に発行された週刊誌などを保存しているのですが、それらを久しぶりに読み返してみました。

平成7年2月10日付発行の「週刊ポスト」から。

グラビアなどの次の最初の記事が「村山首相よ、即刻辞職すべし」というタイトルで、当時の国の対応などを批判しています。

以下、一部を引用。

 村山首相が国会で、「最善の態勢」と胸を張ったその内実がどのようなものかを物語る証言を紹介する。兵庫県庁の複数の課長がてんてこ舞いの救援業務に苛立ちを隠そうともせず、本誌記者に異口同音に語ったことである。
「私の状況を見てください。1分間も連続して話ができないほど被災地の各所から電話が入ってきてるでしょ! そのうえ、全国各地から救援を申し込む書類(ざっと数十センチ)、県と被災市町村との連絡事務と関係書類の山、これらをさばかなければ、現場の救援活動は先に進まない。
(ドンと両手で机を叩き)ところが、いま、私は何をしていると思いますか、この書きかけの書類は何だと思いますかッ。あなたの取材に答えながら、私の手は、国の救援措置と体制がいかに最高、最善のものであるか、省庁や与党に矢の催促をされてその国会答弁書を書かされているんだよ。作文だ、作文! 被災地を見れば、あなたにも実態がわかっているはずだ。何が、最善ですか。しかし、今の私は、国の対応が最善であると書くことが、役人として"最善の仕事"なんだよ、バカバカしい。この現実を書いてくれ」

長文の引用になりましたが、大災害と、その対応について考える上で、非常に重要な問題(かつ、あまりマスメディアでも取り上げられない問題)であり、著作権法上、正当と認められる範囲ではないかと思います。
(このことについて発行元の小学館関係の方からのご意見があれば、お手数ですがコメント欄にお願いします。)

この記事の内容が全面的に正しいか、といえば、それを確かめる手段は私にはありません。
ただ、この震災のときのさまざまな情報、国が自治体などに(災害時以外でも)依頼する文書やメール等、状況証拠から見て、おおむね事実どおりだったのだろうと推測してます。
また、この記事について、当時の政権や兵庫県庁が小学館に抗議した、という事実は(たぶん)ありません。

もちろん、当時の「自・社・さ」政権を批判しておしまい、というつもりではありません。

東日本大震災の際の民主党政権の対応も(こんな馬鹿げた「作文要請」などはなかったと信じたいですが)、あちこちから批判されています。
もっとも、「ねじれ国会」であった以上、当時の野党の責任(あるいは無責任というべきか)も免れませんが。

私が言いたいのは、ことが起こったとき、その対応が問われるのは当然ですが、

「自分たちの正当性を主張するために事実をねじ曲げてはいけない」

ということです。

村山政権の対応が「最善」でなかったのなら、なぜ最善でなかったのか、どうすれば最善に近づけるのか、ということを考えていくべきだ、ということです。



*被災地のひとつ、明石市などには、「阪神・淡路」という限定的な名称に疑問を持ち、「兵庫県南部地震」と呼ぶ方もいらっしゃいます。

身内が亡くなったときの事務手続き

吉行あぐりさんが1月5日に亡くなられたそうです。107歳。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150111-00000037-sph-ent
 
作家の吉行エイスケさんの妻で(死別後、再婚あり)、長男が吉行淳之介さん、長女が吉行和子さん、次女が吉行理恵さん。
ご自身は90代まで現役の美容師で、NHKの朝ドラ「あぐり」のヒロインのモデルとなりました。
肺炎ということですが、波乱の時代を生き抜いた大往生としか言いようがありません。
 



さて、現在の科学技術では、大往生であれ、不慮の事故、災害であれ、人間いつかはあの世に行くもの。
ということで、某所で作られたメモ(謎)を元に、身内が亡くなったときの事務手続きなどを書いてみます。
(誤りがあっても責任は持たないので、目安程度に。特に税務関係などややこしい部分は各役所等にご確認ください。)
 
1:公共料金(故人名義の口座払の場合)
 金融機関が死亡を知った時点で、預貯金口座が凍結される可能性があります。
 別の家族名義の口座(夫が死亡した場合の妻など)から支払うようにする手続用紙は、金融機関などにあります。
 市町村税(固定資産税など)、都道府県税(自動車税、個人事業税など)も口座払の場合があります。
 手続きが間に合わない場合には、納付書でも支払い可能です。(各役所などで発行)
 
2:年金の手続き(ねんきん事務所)
 亡くなった人が公的年金を受給していた場合、年金受給者の死亡の届出と、未支給年金の請求の届出が必要です。
 たとえば7月死亡の場合、8月の年金は生計同一の遺族が受け取ります。
 (優先順位は、(1)配偶者 (2)子 (3)父母 (4)孫 (5)祖父母 (6)兄弟姉妹 (7)その他の3親等内の親族)
 遺族年金が出る場合もあるので、そのときはその手続きも行います。
 
3:準確定申告
 亡くなった方の1月1日から死亡日までの間の所得についての申告です。(用紙・申告先は税務署)
 死亡日までの所得なので、たとえば年金受給者が7月死亡なら6月の年金までが対象となります。
 生前に給料などを受け取っていたら、それも含まれます。
 控除できる費用(たとえば医療費)も、死亡日までに支払った費用のみです。
 給料や年金から源泉徴収されている所得税があれば、還付請求が可能です。
 (1年分の給料や年金の額を前提に源泉徴収されているので、早い月に亡くなったら還付の可能性が大。)
 申告期限は相続の開始があったことを知った日から4か月以内です。
 ただし、納付する税額がない場合(還付だけの場合)は、期限後でもかまいません。(注:5年で請求権消滅)
 
4:相続税(課税されるような相続財産がある場合)
 申告・納税先は税務署です。
 期限は、死亡したことを知った日の翌日から10か月以内です。
 
5:相続の手続き(預貯金の払い戻し、自動車の登録変更、不動産の相続登記、有価証券の手続き 等)
 ※機関によって手続きや用紙は異なります。
 原則として、亡くなった人の戸籍謄本(出生から死亡まで)で相続人を確認します。
 婚姻や養子縁組で本籍地が変わった場合は、そちらの市町村からも取り寄せします。(たいてい郵送でも可能)
 生存する子がいれば、親や兄弟姉妹には相続権はありません。配偶者は常に相続人となります。
 遺書(遺言書)があれば、遺留分を侵害する場合を除きそれに従うことになります。
 遺書(遺言書)がなければ、民法の規定を基に遺産分割協議を行います。
 戸籍謄本、遺産分割協議書、印鑑証明などの書類は、法務局でも金融機関でも、提出後、返してもらうことが可能です。
 (不動産登記や本店、貯金事務センターなどでの手続きに日時がかかり、遅くなる場合もあります。)
 預金残高が少ない場合には、簡単な書類で払い出しが可能な場合もあります。
 (戸籍抄本など、受取人が相続人の一人であることがわかる書類等)
 相続放棄する場合には、自分が相続することになったことを知った時から3か月以内に手続きする必要があります。
 
6:その他
 相続手続きに日時がかかりそうな場合、翌年度に誰に課税するか、とりあえず届け出る方法もあります。
 (固定資産税の相続人代表、自動車税の課税替え申立など。)
 扶養の変更(たとえば夫が妻を扶養していた場合、夫の死亡により、妻(母)を子の被扶養者にするなど)は年末調整時に行えます。
 葬儀や法事の関係は、宗派や地域によって慣習が異なりますが・・・仏教関係で思いつくのは次のようなものです。
 ・四十九日(忌明け法事)の調整
   寺との日程調整、親族への連絡、食事の場所や移動手段などの計画
 ・香料を頂いた人、法事出席者への品物、挨拶状(データを作っておくと喪中はがき等にも利用可能)
 ・墓石に戒名などを彫る段取り(石屋さん)

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