2015/12/22
まず、夫婦別姓になると、離婚に歯止めが利かなくなりやすい、という考え方について。
これは成り立ちません。
現在の制度でも、離婚時に、旧姓(婚姻前の姓)に復帰することも、現姓のままでいることも選択できるからです。
次に、家族は同姓であるべきか、ということについて。
たとえば、国民的家庭マンガとでもいうべき「サザエさん」や「コボちゃん」では、家族として暮らしている人々は、同姓というわけではありません。
いずれも、妻の両親たちと同居している一家ですが、いわゆる婿養子ではありません。
マンガ(フィクション)が例として不適当というのなら、現実にありそうなものとして。
例1:夫婦別姓を選択して、事実婚となっている男女とその子。
例2:災害などで両親が死亡し、母方の祖父母(両親とは別姓)が孫となる遺児を引き取って養育する場合。
例3:災害などで両親が死亡し、両親の兄弟姉妹(両親とは別姓)が甥姪となる遺児を引き取って養育する場合。
例4:災害などで両親が死亡し、すでに成人して嫁いでいる姉(夫の姓に改姓済)が弟妹となる遺児を引き取って養育する場合。
例1については、事実婚を選択した男女に対して保守派からの批判があるかもしれませんが(私の批判ではありません)、例2~例4について当事者を批判できる人はいるでしょうか?
一般のシロウトさんの不安はともかくとして、「別姓は家族の絆を弱める」などと公言する政治家は、例2~例4の子どもたちを傷つけている可能性があります。
ご本人は自覚していないでしょうが。
「夫婦(選択)別姓は家族を崩壊させる」とか「子どもが迷惑する」という主張の政治家が、児童心理学者などの発言・論文などを根拠にした例を私は知りません。
私にしても、児童心理学を専門として研究したわけではなく、遠い昔にに家族社会学の一端に触れたことがある程度ですが、それでも、その後の児童相談所や福祉事務所などでの経験からは、
「同じ名字でなければ夫婦が破綻しやすいとか、子どもの成育がうまくいかなくなるという考えは根拠がない」
という木内道祥裁判官の判断を支持したいと思います。
子どもたちがショックを受けたり、不安を抱いたりするのは、むしろ同姓の家族(父母)と血がつながっていなかった、というような事実を知ったときです(その場合でも、たとえば長年の「親子」としての愛情で乗り切っている里親家庭は多数存在しますが)。
あるいは、何らかの事情で、親と別れて生活せざるを得なくなった、児童養護施設などの入所児童などです。
姓が一緒であるかどうかよりも、「信頼できる保護者と、空間的、時間的に密接な環境にいられるかどうか」の方が、よほど重要だろうと思います。
もうひとつ。
家族の中で姓が違ったら、子どもが他の子どもたちからからかわれたりいじめられたりするのではないか、という危惧について。
これに対する私の考え方は、明快です。
そんなことで、からかったり、いじめたりする子どもたちの方が間違っています。
(特に、上の例2~例4のような事例も思い浮かべてください。)
周囲の大人は、特に政治家のような人間ならなおさら、そういういじめが起きにくいような世の中を目指すべきです。