キッズウィーク

首相官邸 平成29年7月18日
大人と子供が向き合い休み方改革を進めるための「キッズウィーク」総合推進会議

 平成29年7月18日、安倍総理は、総理大臣官邸で第1回「大人と子供が向き合い休み方改革を進めるための『キッズウィーク』総合推進会議」に出席しました。
 会議では、キッズウィークについて議論が行われました。
 総理は、本日の議論を踏まえ、次のように述べました。
「(略)子供たちが家族や仲間とともに休日を過ごし、地域の行事に参加することなどを通じ、絆を深める。子供たちの豊かな心や人間性を育むために重要なことであり、自己肯定感を高める上でも有用だと考えられます。
 このため、大人と子供が向き合う時間を確保することを目指し、来年度から、地域ごとの実情に応じて学校休業日の分散化を図る取組を進めます。キッズウィークの実現です。
 例えば、夏休みや冬休みなどの一部を他の時期に移し、その地域だけのまとまった連休をつくり出す。どこもかしこも交通渋滞というような連休ではなく、家族などでゆっくり過ごすことができる連休です。
 フランスでは、全国を3つの地域に分け、学校休業日を分散して設定しています。日本でも、例えば、渋谷区などにおいては、二学期制を活用し秋休みを設けています。
 このキッズウィークの定着のためには、学校側の努力だけでなく、企業においても、有給休暇の取得が促進される必要があります。キッズウィークは働き方改革と表裏一体の、いわば休み方改革の推進でもあります。これを契機に、子供がおられる方も、おられない方も、有給休暇を取りやすい機運が醸成されればと考えています。さらに、地域振興や経済の活性化、雇用の拡大、観光需要の平準化など、様々な効果も期待できます。正に人を育てる、社会を変える、そんな新たなチャレンジであり、本推進会議はそのエンジンとなるものであります。
 今後、地域の実情に応じた取組にするために、地域ごとに協議会を設置し検討を進めてもらいたいと思います。政府としても、必要な政令改正を行うなど、一丸となってこのキッズウィークがしっかりと定着するよう、取り組んでまいります。」

http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201707/18kidsweek.html


読売新聞(平成29年8月13日)気流(投稿欄)
17歳の男子高校生の投稿より

 安倍首相はこの政策を「休み方改革」の一環としているが、私はあまりよい政策とは思わない。
 外出する家族が増えると、観光地で働くサービス業の人たちが忙しくなる。もしも子どもがいる従業員が全員休んだら、子どもがいない従業員がその分まで働かなければならない。と言って、子どもがいる従業員が働くと、子どもとは一緒に休日を過ごせなくなる。
 政府は、労働者が好きなタイミングで確実に有休が取得できる社会の確立を目指すべきだ。

********************

文字強調は引用に際して私の判断で行いました。

さて、これも独断で判定させていただくと、高校生の圧勝です。
彼の投稿のような考え方ができる若者が多いのなら、日本の未来は明るいでしょう。

蛇足で付け加えるとすれば、学校の休みのあり方は、
「地域振興や経済の活性化、雇用の拡大、観光需要の平準化など」よりも
「子どもや教育に及ぼす影響」をまず第一に考えるべき
であって、
その観点から(当事者であるこどもたちの意見も踏まえた上で)必要とされる政策なら
必ずしも反対するわけではありません。

もっとも、この問題に限っていえば、安倍首相が悪い、というよりも、観光庁なる役所の責任が重いというべきかもしれません。


以前、私は「休日分散化~越境者の問題」という記事を書きました。
https://blogs.yahoo.co.jp/jukeizukoubou/25099085.html

中国と近畿、あるいは、近畿と中部・北陸については、相互に「越境」して通勤・通学している人がいます。
どうやって、「親と子が一斉に休みを取る時期」が作れますか?
北関東と南関東となど、他のブロック間でも絶対にあるでしょう。
どうブロック化するか、という問題ではありません。
どこに境界を引いたとしても、必ず、その線を越えて日常生活で行き来している人はあります。
行政の境界と日常生活圏域とは一致しません。
単身赴任の人や、「カレンダーどおり」に休めない職業の人を除いたとしても、これだけ問題があることに気がつかない。
あるいは、気がついていても無視しようとしているのなら、
この観光庁なるものは不要でしょう。
********************
と書いたのですが、このときは、いわゆる民主党政権下です。


「政府が出国時の課税を検討」
https://blogs.yahoo.co.jp/jukeizukoubou/35361297.html

という動きも観光庁関連ですが、この話もなくなってはいないようです。

ここで私は反省して、過去の発言(書き込み)を訂正します。

訂正前 : この観光庁なるものは不要でしょう。
訂正後 : この観光庁なるものは害が多いのでなくすべきです。
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ついでに敦賀市内

開港100周年とかいうのはともかく、敦賀港は北前船とかいろいろ歴史ある港のようです。

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敦賀港側から敦賀駅方面に歩いていくと、松本零士氏の作品関連の展示が目につきます。

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こういうのが、車道と歩道の間に多数。

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おなかがすいたので、ここでも名物らしいソースカツ丼を探す。
有名店は(多少ひるどきを過ぎていたのに)行列が目についたので、
そのあたりの大衆食堂っぽい店に適当に入る。

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写真の出来が悪いだけで、ボリュームもあり、もうけものでした。美味しかった。
有名店はもっと美味しいのかな。

夏休みシーズンもあと少し、もうちょっとどこかに出かけたいない、という人は、
敦賀散策もお勧めかも。
(カツ丼の話ではなく、ムゼウムとか博物館関係ですが。)

人道の港 敦賀ムゼウム

最近行ったのではありませんが、「人道の港 敦賀ムゼウム」を紹介します。

こちらの記事の最後でも触れたように、

敦賀港はポーランド孤児の救済にも関わった港ですが、メインの展示は杉原千畝氏関係の資料でしょう。

「人道の港 敦賀ムゼウム」は、JR敦賀駅より北の方(港の方)にあります。

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金ヶ崎緑地(↓こんな広々としたところ)の一角にあります。

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駐車場も案内されています。

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藤棚の向こう側の建物。

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建物の手前に「自由への扉」と書かれたモニュメントがあります。

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建物の中は撮影禁止なので、近くの「赤レンガ倉庫の中の掲示を紹介。

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ちなみに、赤レンガ倉庫はこんな建物。土産とか食事とかあります。

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ちょっと歩くと、敦賀鉄道資料館もあります。

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こんな看板も。

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訪問介護の論点・資料について

7月5日の介護給付費分科会の資料について


P41
<「生活援助」のみの利用状況を調査したところ、1人当たりの平均利用回数は月9回程度となっているが、月31回以上の利用者が6,626人にのぼり、中には月100回を超えて利用されているケースも認められた。>

議事録にも何度となく出ていた↑この部分の資料です。
このブログに使うのは横幅が広すぎるので、ちょっと分割します。



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和光市については今回は触れるつもりがないので、全国の平均値に行きますが、
田部井委員の発言にあるように、月31回以上の利用者は、6,626/162,585=約4% です。

で、資料の残りを加工します(縦にくっつけただけです)。


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月100回以上・・・って、どれくらいあるのだろうと思ったら、101回が1件あるだけなんですね。
あとは、98回が3件ありますが、90回が16件など、概ね1日3回程度かそれ以下。

私が気になったのは、上位の要介護2~5の人たちで、なぜ身体介護(中心型)の利用がないのだろう、ということの方です。

もしも集合住宅で囲い込んで、限度額までサービス山盛り、ということなら、単価が高い身体介護が相当程度入ってきてもおかしくありません。

これは、訪問介護以外のサービスや家族の状況等にもよりますが、本来は身体介護で訪問すべきところ、限度額や利用者負担を勘案して生活援助にこじつけたのではないか、みたいなことすら頭に浮かびます。

訪問介護の論点10(7.5分科会)

先ほどの伊藤委員の質問に対する事務方の回答は、議事録では(その次の)石田委員の発言の次に記載されていますが、ここでは先に書きます。


三浦振興課長 伊藤委員から3点ほど御質問をいただいておりますので、お答えしたいと思います。
 まず、1点目、総合事業の実施状況の中で、27年4月実施の78自治体と28年4月の514自治体を比べた結果、従前相当ではないサービスの割合が大きく下落しているではないかという御指摘がありました。その理由につきまして、私も定量的に、あるいは具体に一つ一つを潰したわけではないのですけれども、聞いております限りでは、そこの総合事業を開始する前の段階の準備状況、そこに至るまでの体制に違いがあるという御意見、お話をよく承っているところであります。
 2点目、生活援助あるいは身体介護について、それのみなのかという御指摘です。ルール上は、私どもは資料を簡略にするために例えば参考資料2ページ目などはつくっておりますが、基本的に身体介護に付随する生活援助、あるいは生活援助に付随する身体介護というのは当然に発生し得る場合がございますので、表現といたしましても、給付としては身体介護中心、生活援助中心という形になっているところでございます。
 これは3点目とも関係します。3点目で100回以上というものの実態、きょう議論の中で出てくるかと思っておったのですけれども、個別にお一人お一人のケアプランなどをつぶさに見るのは、個人情報との関係がありますのでできておりませんが、ここに挙がっておりますような自治体、全てではありませんけれども、ある程度確認をいたしました。先ほど田部井委員からお話がありました、独居で認知を抱えた方、あるいは老老の世帯において、一例を挙げますと、1日3回行かなければいけない、1日3回の理由といたしまして、例えば服薬の支援をしに行く、コンプライアンスをとりに行くために朝昼晩訪問し、それが毎日になると、それで3掛ける3で90回になるわけです。それにプラスアルファの訪問が入った結果100回を超えるケースがあるやに聞いております。ただ、いずれにしても、全体観のあるお話はまだできておりませんので、引き続きどのようなことができるか考えたいと思います。

石田委員(高齢社会をよくする女性の会理事)
 論点の最後から二つ目の○です。これまでも委員の皆様からいろいろ御発言がありましたが、身体介護、そして生活援助の役割分担について、生活援助の中身、参考資料の3ページにあります老計10号の詳細をみますと、「役割分担」という文言よりも「機能分担」というほうがもう少し的確かなと思っております。どのような機能を誰が担うかというところをもう少し細かくきちっと整理して、それらの機能を多様な人材が分担するという考え方が重要ではないかと思います。そして絶対的に人材は不足していますので、ボランティア等を含む多様な方々の御協力や参入というのが絶対必要になってくると思います。プロしかできない機能はプロフェッショナルが担い、そうでない人でもできる機能をサポーターやボランティアなどに振り分けていくといった機能分担の具体的な方法や事例などを示していくというのがとても大事なのではないかと思っております。
 そして、論点の一番最後にあります身体介護における自立生活支援のための見守り的援助。これも老計10号の身体介護の1-6というところにあるのですが、実際に直接的なケアをしていない場合においても、見守りの中で利用者の状況を的確に把握できる、何が問題なのかということがちゃんとわかる、今後どのような状態になるかを予想できる。こうしたことができるのはプロのプロたるところであって、こうした専門的な機能こそはプロに任せなければいけないということであると思います。
 そのように考えていきますと、例えば有償とか無償のボランティアの方々のマンパワー、協力をいただくことで低く抑えられた費用については、こういったプロの方々への人件費に反映されていくということも忘れてはいけないことで、そこを押さえて、例えばサービスの低下、報酬の低下ということにつながっていかない仕組みを考えていく必要があると思っております。


<コメント>
各委員の発言については、だいたい以上のとおりです。
さて、これをどのように考えていくか。

ところで、厚生労働省の三浦課長。
あなたがたが「認知を抱えた方」なんていっては駄目でしょう?
いや、「認知症の方に対する差別発言」ということではなく、「認知能力等が低下した方」が認知症なので、「認知の方」「認知を抱えた方」というような表現は、認知症の方を指す正確な言葉ではありません。

ときどき、そこらへんのケアマネやヘルパーや看護職員なんかが「あの人は認知なんで」などと間違った言い方をすることがありますが、厚労省職員(しかも課長級)がそれでは示しがつかない。

訪問介護の論点9(7.5分科会)

伊藤委員(日本労働組合総連合会総合政策局生活福祉局長)
 生活援助中心型サービスの人員基準、報酬についての検討ということですけれども、きょうもお話がありましたように、これは介護離職ゼロと、高齢者、要介護者が住みなれた町でできる限り在宅生活を続けられるようにという、この2点の政府の方針に基づいて慎重に検討していかないといけないと思っています。
 この人員基準、報酬については、こういうお題なものですから、資料1の中からも申し上げないといけないのですが、人員確保難という問題意識から設定されております。そうなりますと、介護人材の需給推計、2015年6月に出されたものがございますが、2025年に37万7,000人ギャップができるというものですけれども、この場でも何度も申し上げていますが、その後、有効求人倍率の上がり方については、特に介護の分野が高くなっていますので、この需給ギャップが拡大している可能性があると思っています。まず、基礎資料として再推計をしていただく必要があると思います。
 人材確保について資料が参考資料1のほうにいろいろあるわけですが、ボランティアの数が62ページのあたりに出てまいります。直感的にこれは過大評価ではないかなと思ったので、社会生活基本調査を見てみましたら、その数字のとおりでした。古い数字ではあるのですけれども。しかし、これが年に1~4日というものまで含んだ数字ですので、月に1回だと、65~74歳の部分で100万と書いてありますが、70万ぐらいになりますし、週1回の活動ということになると19万人ぐらい。そういうことをもう少し丁寧に見ていく必要があると思います。
 ここで何度も申し上げていますけれども、生産年齢人口が減る中で、労働力人口の確保に各業界、企業が躍起になっていますので、ボランティアという形でその確保ができるのかという点について冷静に見ていく必要があると思っています。
 人材確保対策となり得るのかということですが、基準の引き下げを行って、結果として報酬の引き下げまで行って、その担い手が本当にいるのか。全国で訪問介護事業所が引き続きサービスを続けるということになっていくのかというのは、非常に不安を持っております。要支援者の総合事業の調査がこの場で出されていますが、2回出された、2015年4月以降分の78自治体と2016年4月時点で実施している514自治体を比べてみますと、住民主体による支援を行っている事業所が11.4から3.9%に下がっているようです。かなり大幅に下がっているので、この辺、自治体によって人材確保のしやすさ、多様な担い手の住民主体の人材確保にはそれぞれ事情が大きく違いがあるのだろうなと思いますので、大きく下がった理由について、もしわかりましたら御報告いただきたいと思います。
 こういう実施状況、先ほども御指摘がありましたけれども、さらに実施が進んでいると思われますので、ぜひそういったものを含めて検討していきたいと思います。
 人材確保も、ここに参加されている事業団体の代表の方は実感されているとは思うのですけれども、介護労働安定センターの調査でもその点は拡大しておりまして、賃金の低さが確保の課題という点が理由として挙がっておりますので、十分な処遇が行われない限り人材確保は厳しいというのが現実ではないかと思っております。
 肝心なのはそのサービスの中身のことであります。先ほどから指摘があります54ページのところに介護保険サービスとして継続する必要性があるというものは、身体介護なしでも75.4%ということです。一切身体介護がないといっても、本人や家族の要望ではないということもここの調査で示されておりますので、要介護者の心身の状態や生活環境などに応じてきちんとケアプランに基づいて、質の確保されたサービスを行っているという状況がこの資料で読み取れると思いました。
 生活援助中心型の議論をしていると思うのですが、財務省からの資料だと、生活援助のみという形で繰り返し出てまいります41ページ、42ページとか、そういう生活援助のみという報酬体系があるのかどうか。ここははさみで切り離せない話だと先ほども指摘がありましたように、介護の世界は明確に切り分けるというより、日々の状態とか要介護者、利用者の状態などに応じてヘルパーがその場で対応できる、そういう余地を考えてつくられていると思っておりますので、そういった観点が非常に重要だと思っております。
 今は論点の1つ目のことだけをずっと言っていたのですが、2つ目のことで言いますと、1カ月で101回ということについてすごく取り出して指摘していますが、これはどういう事情がある方なのか。こういう資料のつくり方自体が人権にかかわるのではないかというぐらい心配ですが、101回必要としている方がどういう事情にあるのかということを、きょう時間がなければきょうでなくてもいいですが、お示しいただきたいと思っています。生活環境ですとか抱えている困難な状況ということがあるのではないかと思っています。上限を超えたら自費ということでは在宅生活を続けられなくなってしまうと思いますので、慎重に検討が必要だと思います。
 3つ目の○、集合住宅の話ですが、これは先ほどからもっと丁寧ということでしたが、私もそう思っておりまして、大阪府のサ高住という特定施設の話を全国の在宅サービスと比較しておりますが、大阪府のサービスとの比較ということも見ていきたいですし、なぜ高くなっているのかということもきちんと分析していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 最後、見守り的援助ということで、これはいいことではないかと思っております。ただ、1-6の自立生活支援のための見守り的援助というものが実際居宅で行われているということをどのように履行確保を確認できるのかという点が非常に論点にあるかなと思っておりますので、そういったことも含めて検討していく必要があると思います。


<コメント>
紫色の発言(質問)については、後で厚労省事務方が回答しています。次の記事で。

(つづく)

訪問介護の論点8(7.5分科会)

堀田委員(慶大大学院健康マネジメント研究科教授)
 論点の1つ目に関連して2つです。
 1つ目は、今までの何人かの委員がおっしゃったことと最終的にはつながると思うのですけれども、25年度の老健事業で御紹介くだっている訪問介護のあり方と並行して行われていた介護人材の機能分化の調査というのがありまして、その結果を見ますと、訪問介護はそんなにサンプルは多くなかったのですが、訪問介護の中で生活援助にかかわるものを業務の専門性としてどう見るかという調査だったのですが、ピュアな生活援助に関しては、知識・技術をそれほど有しないという方と、基本的な知識・技術を有している方に相当するというのが8割を超えていたのです。逆に言うと、介護福祉士以上の方々がそれを担うべきだというのはとてもわずかだった。
 他方で、目に見えることが生活援助だったとしても、アセスメントを実施したり、既にお話があったように、計画作成とか、その見直しにつなげていくという介護過程の展開ということを考えていきますと、今、申し上げていた知識・技術をそれほど有しないとか、基本的な知識・技術を有している人がそれを担ってよいというお考えの訪問介護の方々というのは10%台ぐらいしかいなかったのです。
 ですので、ピュアな、本当に目に見える生活援助、それは逆に言うと、どなたでも家庭の中で行っているかもしれない。もちろん、それは暮らしを支える上で確実に大切ですが、誰でも担えるかもしれないようなものも現状の訪問介護の中には紛れ込んでいるかもしれないということが一つ言えるのですが、単純に生活援助を全部、では、それは誰でもできるもの、地域で幅広くというふうにやっていいかというと、並行して行われていた三菱総研のほうの訪問介護の検討会の中でとても興味深かったのですけれども、訪問介護にかかわる事業者さんとか団体の方々と一緒に議論しておりましたら、見かけ上生活援助ということを使いながら、先ほど申し上げたようなアセスメントをやっているという場合もあって、それが例えば退院直後とか、あるいは配偶者がなくなったとか、生活の環境がとても変わってしまったという時期には、生活援助というツールを使いながら、その方の自立に向けた方向性をどう考えるかということを展開しているのだという話があったのです。
 そういうことを考えますと、単純に生活援助を中心にということで要件をどうするかということではない、もう一つの視点をどう入れていくのか。先ほど齋藤委員から御指摘があったような、ともにする数とか、身体をとっているところもあると思うのですが、機能訓練、自立、ADLの向上という視点もあるでしょうし、それを通じてアセスメントをやっているということで見る場合もあるでしょうし、そこは丁寧な議論が必要かなと思います。
 ただ、報告書で残ったかどうか記憶がないのですが、三菱総研のほうの訪問介護のあり方の会合の中では、では、結果として今、生活援助と身体介護というのは、指定訪問介護だと単価が違うわけですけれども、実際に御本人と自立と尊厳の向上ということにつながる適時適切なケアということであれば、それは単価が分かれている必要はあるのだろうかというような議論が出されていたということも少し記憶に上ってきたところです。ですので、そのあたりの丁寧な議論が必要かなと思います。
 2つ目は、他方で、もちろん今はもしかすると専門性が必要ないかもしれない部分、ピュアの生活援助までカバーしてしまっているかもしれないところは、対象が軽度であろうと中重度の方々であろうと変わらない事実としてありそうだということも明らかになっていまして、そのときに、先ほど大西委員が総合事業についての言及もなさいましたけれども、地域の方で幅広く生活援助をカバーしていこうとしたときに、基礎的な質の担保を図っていくかというときに、参考資料の60ページあたり、後ろのほうに地域住民の参入促進が幾つか出されていますが、単純に高齢者の家庭における生活の援助ということを超えて、既に幾つかの自治体などでは、20~30時間ぐらいで子どもから高齢者まで基礎的な助け合いの知識・技術を学ぼうといった枠組みを入れているところもありますので、幅広く住民の方々が互助をしっかり担っていけるような視点からの基礎的な質の担保という考え方もあるかなと思います。


<コメント>

以前、「軽度者にこそ、プロの目を」という記事の中で、

一方、重度の方は、といえば、もちろんプロの支援は必要です。
ただ、支援の必要量の総量が増える中で、ボランティアにできることも増えます。
すなわち、ボランティアを活かす機会は、重度者の介護の場にこそある、という見方も可能かと。


というようなことを書きました。
堀田委員のボリュームのある発言の中には、この考え方につながる部分もあると思います。

(つづく)

訪問介護の論点7(7.5分科会)

小原委員(日本介護支援専門員協会副会長)
 論点の1番の生活援助の意義についてですが、まずは生活援助のみの利用状況について、利用者さんが集合住宅等に居住するのか、あるいは在宅での利用なのかといった状況によっても違いが出てきますし、なぜそのようなサービス利用状況になるのかということもしっかりと見ていく必要があるのかなと思います。
 財務省からの指摘については、生活援助が中心となるケースと定期巡回の対象像が異なることとか、あるいは月当たりの基本報酬が定められている定期巡回の平均値と生活援助の最大値との比較は妥当性があるのか、疑問に思うところがあります。
 その上で、このような特殊なサービス利用形態にならざるを得ないケースについては、十分に検討していく必要もあるかと思いますし、さまざまなサービス利用のパターンがあってこそ、先ほど誰かもおっしゃっていましたが、在宅生活が継続できるという側面もあるのではないかなと思います。
 その上で、要介護高齢者等の個人が直面する暮らしにくさ、生活課題に対して、最低限必要な生活状況を継続するために活用する支援としての生活援助とよく比較される家事代行的なサービスを比較するのは、ちょっと違和感があります。また、生活援助の場合は、居宅サービス計画に応じた訪問介護計画の作成とか、実施の際の声かけとか安否確認、さまざまな連絡調整等の附帯する業務も必要になってきます。
 生活援助の意義、必要性については、実情としてとても適切とは言えない生活環境にある利用者さんを支援することは少なくないのですが、例えば清潔な生活環境が担保できなくて、不適切な食品の摂取とか、水分の不足とか、重要な薬の飲み忘れなどが頻回にあれば、容易に健康状態とか生活状況の悪化につながることは想像にやすいと思います。ここら辺は自立支援との兼ね合いとも絡めて考えていかなければいけないと私は強く思います。

小林委員(全国健康保険協会理事長)
 訪問介護サービスのあり方については、介護保険制度の持続可能性といった視点も十分踏まえて、適正化できる部分は見直し、評価を重点化すべき部分については重点化が図られるように、両面からの見直しを検討すべきだと考えます。
 こうした観点から、論点の1つ目の○にある生活援助を中心に訪問介護を行う場合の人員基準及び報酬については、サービス水準に与える影響には配慮する必要がありますが、限られた介護人材を有効活用する意味でも、より多くの人材が生活援助を実施できるよう基準を見直し、それに伴う報酬水準の適正化を図っていくべきではないかと思います。
 論点の3つ目の○の集合住宅におけるサービス提供については、参考資料の27ページにあるとおり、現行では事業所とサービス利用者の居住する建物が同一敷地内にあっても隣接敷地内にあっても減算率は同じ10%になっておりますが、同一敷地内のほうがサービス提供に伴う移動コストは低廉になる場合が多いと思いますので、その点はより細かく報酬を設定していくべきだと思います。
 評価の重点化という観点からは、利用者の自立支援や在宅中重度者の方の受入拡大につながるよう、加算の要件の見直しもあわせて行うべきではないかと思います。

齋藤(訓)委員(日本看護協会副会長)
 何人かの委員からも御指摘のように、私も生活援助と身体介護をきれいに切り分けられるのかどうかは、少し疑問があります。私も親を介護しておりますので、サービスを受ける側としても全く切り分けはできないのでは、と考えております。
 例えばお掃除一つにしても、居室は広くてできないけれども、小さなトイレだったらできるなどの場合もあるかと思います。利用者が出来る範囲で参加すること自体が生活機能の維持・向上に資すると思いますので、利用者の状態に合わせた援助と家事代行とは区別していく必要があると思います。生活機能を維持するための機能訓練の要素がある場合は訪問介護に残して、そうではない家事代行サービスなどは訪問介護以外のサービスを活用するというように、少し分けていく方向もあるのではないかと感じているところです。
 参考資料の54ページに、生活援助サービスを提供している利用者さんについて、約8割の事業所がこのままサービスを継続すべきだと回答しているわけですが、一方で13.6%の事業所が訪問介護以外の総合事業でも対応可能という回答もありますので、こうした事業者側の判断について、随時ケアマネジャーに情報提供して、ケアプランの中身を変えるといったようなサービス提供責任者からの意見、情報提供を促す仕組みがあると、総合事業に移行しやすくなるのではないかと考えています。
 もう一点、任用要件のところでございますが、25ページ目の資料で、生活機能向上連携加算をなぜ算定できないのかという理由が出ていたかと思いますが、3番目の4番目の理由として「利用者の身体の状況等の評価を共同して行なうことが難しい」、あるいは「生活機能の向上を目的とした訪問介護計画を策定することが難しい」というのがあがっております。これらが、任用要件と関連があるのかどうかは確実には分かりませんが、恐らく介護福祉士等にすることで算定がしやすくなるのではないかと推察しております。ですので、訪問介護計画の作成等の責任者は介護福祉士にお願いするような方向でよいのではないかと思います

(つづく)

訪問介護の論点6(7.5分科会)

瀬戸委員(全国老人福祉施設協議会理事・統括幹事)
 まず、論点の1つ目、生活援助を中心とした場合の人員基準をどう考えるかですが、生活援助のみに着目した緩和については反対をしたいと思います。御存じのように、訪問介護では生活援助も含めて一体的にサービス提供を行うことで、さまざまな生活課題を発見して、日々の生活に寄り添ったケアを提供しています。こうしたかかわりは、まさに介護の専門性ですので、生活援助だけを切り離す、あるいは専門性は要らないということにならないと思います。
 3つ目の論点の集合住宅に関してですが、参考資料44~46ページにあるような状況を考えれば、やはり是正すべきだと思っています。現在の訪問介護での集合住宅における減算のみだけではなく、例えば一定回数までは出来高で、その回数を超える場合には上限設定、包括報酬という新たな報酬体系も設定すべきではないかと思っています。

齊籐(秀)委員(全国老人クラブ連合会常務理事)
 資料の49ページ、生活援助サービスの利用者の状態をあらわしたデータでありますが、権利としてこのサービスを使うというよりも、80歳、85歳、90歳と年齢を重ねる段階でこういうサービスを求めている。しかも、その段階では要介護1、2という比較的まだ頑張れる段階なのでありましょう。
 50ページを見ると、田部井委員のお話にありましたように、認知症の方が3割弱いらっしゃる。ほかにもいろいろな病気を持っておられる。こういう方々が利用される方々でありまして、決して何かのサービスありき、権利として使うという気持ちで使っているものではないと見るべきで、むしろ生活援助は重度化予防に資すると評価できるものではないかと思います。そういう意味では、生活援助の評価が少し低過ぎるのではないかなと、先ほど来の御意見を聞きながら感じております。
 しかし、その上で、資料にありますように、人員の問題で考えますと、なかなか訪問看護員が集まりにくい。平均年齢も高くなれば、60歳以上の方々が相当数出てくる。また、離職率も決して低くないという課題がある。その中で、介護人材を確保していくことと質の問題、または人員の基準を緩和することと報酬の引き下げの問題ということで、なかなか意見の一致が難しい問題ではありますが、要支援1、2の総合事業化に伴って、いわゆる多様な方々が関与しなければ、この地域包括ケアというのは成り立たなくなっているというのが現実であります。この現実から考えますと、やはり人材の有効利用、役割と責任の分担というのは避けられない問題であろうと考えます。
 その上で、しかし、サービスの質を落としていいということとか、報酬はどうでもいいということを申し上げるつもりは全くなくて、それも大事でありますので、どういうふうにしてこの道を探っていくのか、事業者との共存の道をどう図るかということがこれから求められていくことだろうと思っております。
 2つ目に、頻回利用のことについて指摘されているわけでありますが、41ページの資料で御指摘がありますように、31回とか100回が多いとか少ないという数字の議論がありますけれども、これが本当に妥当性を欠くものなのかどうかという検証がなされなくて、回数のことだけで多い少ないと言っているのは、理解に苦しむというか、判断に苦しむわけでありますので、こういうものがどういう実態にあるのかということをよく調べていただいた上で、不適切なものは当然是正していくし、必要なものについての認識も深めていただく必要があるのではないかと思います。
 集合住宅における問題でありますが、これは全て同じようなことで不適正な利用があるというふうには考えませんが、大阪府の例にあるような形で、保険者が集中的なケアプラン点検をするということも極めて大事だと思いますが、その前に、例えばサービス利用が平均的な区分支給限度額を大きく超えている場合などは、要介護認定の有効期間を短くして、本当に公平・中立なケアマネジメント、ケアプランがされているのかどうか、点検の機会をふやしていくということも大事ではないかと思います。
 さらに、集合住宅を取り扱う居宅介護支援事業所、後の議論になっているようでありますが、ここにも減算の仕組みを入れたらどうかという趣旨の内容がありますが、私はそれよりもむしろ、主任ケアマネの配置を条件として、適切なケアマネジメントや生活支援の適正利用を促進していくということへ道筋をつけていくというのが筋ではないかということを申し上げておきたいと思います。


<コメント>
生活援助だけ切り離して議論するのは不適当、とか、頻回利用について(回数のことだけではなく)本当に妥当性を欠くものかよく調べてから・・・というのは、そのとおりと思いますが、「なかなか訪問看護員が集まりにくい」というのは、この議論についていえば言い間違いか事務方の作成誤りかどちらかでしょう。
もちろん、訪問看護員訪問介護員と同程度か、それ以上に集まりにくいとは思いますが。

(つづく)

訪問介護の論点5(7.5分科会)

田部井委員(認知症の人と家族の会理事)
 議論を聞いていまして、いささか悲しい思いになってきました。認知症の人が在宅で暮らしていくということをどれくらい理解していただいた上で議論が進められているのかなと考えざるを得ません。
 御承知のとおり、6月27日に発表された資料によりますと、介護が必要になる理由の1番に認知症が登場してしまいました。
 きょういただいた資料によりましても、先ほど来問題になっています生活援助の利用者の中でも独居と老老介護というのは圧倒的多数なわけです。そういう方が認知症を持ちながら在宅で暮らしていったときにどういうことになるか。参考資料の41ページで先ほど来問題になっていますけれども、1人当たりの生活援助の利用回数というのが、「月31回以上の利用者が6,626人に上り」ということで、これはいかにも多過ぎるではないかという議論として展開されているというのはおかしいと思うのです。
 そもそも回数でいったときに、月31回以上というのは、1日1回です。1日1回でひとり暮らしの認知症の人が在宅で暮らしていけますか。暮らしていけないですね。老老介護の人が1日1回の生活援助で暮らしていけるか。暮らしていけないのは明らかだと思うのです
 そういう人たちが6,626人に上りということで、いかにも多いようですが、計算をしていただければわかりますように、4%にすぎないと思うのです。私どもからすれば、認知症を持ちながら生活していく人がそういう形でいるということは、十分推測できる数字だと思います。100回以上といっても、1日3回です。朝昼晩と行けば3回になります。事情としては、実際に生活していく上では必要だというふうにも言えますし、本当は身体介護として入らなければいけないのに、回数を入れないから、家事援助という形で回数多く入ることで身体介助もカバーして在宅をやっと成り立たせているというのが実情だということもぜひご理解いただきたいと思います。

 私どもが昨年末からこの3月に調査をしましてまとめた報告書、「認知症初期の暮らしと必要な支援」という調査報告ですが、ネットで家族の会を検索していただければ出ていますので、ぜひ見ていただきたいと思います。認知症の人が初期、181人の認知症の人本人の調査を行いました。私どもは要介護2が軽度だと思いませんけれども、軽度者だと言われている181人の9割が要介護2までの人の調査です。その中で、家事援助がその人の在宅での生活を支え、家族の就労をも可能にしているという役割を十分果たしているというふうに調査結果でも出ています。
 しかしながら、実際の介護はどうかと言えば、一人一人認知症の症状は違いますので、電話をかけるとか、洗濯や掃除をするとか、料理をするとか、入浴をするといった生活の1番目におきましても、その行為のどの部分にどのようなサポートがあれば、自立した生活を維持できるのかという観点からその人に接してフォローしていかなければいけない。これはきちんとした教育を受けた、あるいは訓練を受けた人でなければ。私もやったことがありますけれども、非常にきめ細かい配慮を必要とします。そういう専門的な訪問介護員によって、やっと在宅での認知症の人の生活が成り立っているということをぜひ御理解いただきたい。
 私は、きちんとした訪問介護員の資格を持った人がそういう役割を果たしていると考えています。果たしている役割に見合った、その尊厳に見合った報酬と基準をきちんと確保すべきであろうと思います。もしまたここで安易にこういう数字に減額されて基準を見直すようなことがあれば、やはり訪問介護員というのは尊重されていないのだなという風潮を招きますし、ますます人材不足を招くのではないか。そういう意味で、今回提案されています人身基準の見直しでありますとか、報酬の引き下げというのにはどうしても納得がいかないと申し上げたいと思います。
 もう一つ伺いたいのですけれども、先ほどの身体介護と、本当は身体なのですけれども家事援助として入っているという現実もあるわけですが、論点の5番目の○の「身体介護における自立生活支援のための見守り的援助」というのは、不明にして、よく把握していないのですが、これはどういうことを具体的に指すのか。定義なり内容がしっかりありましたら、教えていただきたいと思います。

三浦振興課長
 「老計10号」と私どもが略称しておりますが、平成12年に出した通知がございます。その中で身体介護と生活援助について、ある程度サービス類型というか、中身について記述しておりまして、身体介護の一番下のところに書いております「1-6 自立生活支援のための見守り的援助」は、定義というか、決まった言葉として受けとめていただければと。これをどう解釈するかというより、こういうふうに呼んでおるということがありまして、それが身体介護というものの一つのクライテリアであるということをこの文章の中では表現をしておるものでございます。


<コメント>
さあ、田部井委員の発言です。

この発言が全て正しいというつもりはありません。
「月31回(以上)」が「1日1回(以上)」というのはそのとおりですが、「月100回(以上)」は「1日3回」よりも多くなります。だから、老老介護だったとしても生活援助(のみ)で月100回以上というのは、何か特別な理由がないと考えにくい、と私は思います。
集合住宅などでの囲い込み、不要な(でなければ比較的必要性が低い)サービスではないか、という疑問はあります。

ただ、要介護者の、その行為のどの部分にどのようなサポートがあれば、自立した生活を維持できるのかという観点からその人に接してフォローしていかなければいけない」ということ、その専門性、必要性についてはそのとおりだろうと思います。

ところで、「身体介護における自立生活支援のための見守り的援助」については、田部井委員もよくご存じなかったのですね。少し驚きました。
それだけ、世間に「自立生活支援のための見守り的援助」が知られていない、理解することが難しい、ということでしょうか。
ということは、たとえば「お年寄りがかわいそう」という程度のボランティアや、ちょっと研修を受けたというレベルの従業者が、この概念を十分理解して「軽度者の維持改善に視するような支援」を行うことは容易ではない、ともいえます。

(つづく)

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